The Social Insight Updater

2011.5.14 update

若者たちの食意識に欠けている「食の文化的価値」

梶原公子(社会臨床学会運営委員)

「食事は単なる栄養補給作業にすぎない」という若者は少数派ではないらしい。 人間の生命維持のためだけの食事は、エサと変わらない。
若者たちが食べることを幸せと感じたり、楽しみ、喜ぶことが希薄になっていたりするとしたら、その背景にはどのような事情があるのか?
『自己実現シンドローム 蝕まれる若者の食と健康』の著者・梶原公子氏に聞いた。

食の文化的価値意識にもっと光を

食事に関する価値意識は、大きく分けてふたつに分類できる。ひとつは健康維持と栄養摂取のための「自然的価値意識」であり、もうひとつは家族団らんや食べることによって幸せや楽しさを感じる「文化的価値意識」である(熊倉功夫、石毛直道 1992『食の文化フォーラム18 食の思想』ドメス出版による)。
日本は戦後「近代家族をつくり、母親が家族のために栄養の調った食事を用意し、みんなで食卓を囲む」を理想として女子教育を行ってきた。多くの女性はその教えを実行し、これが大きな要因となって世界一の健康長寿国をもたらした。その結果「自然的価値意識」そして「健康」は十分国民に根付くようになった。

ファストフードは合理主義を追求するアメリカで生まれた。コンビニ食も忙しくてちゃんとした食事を摂る時間もないとか、時間はあるのに作るスキルがない、面倒くさいという生活環境や食意識を補完する点で、若者になくてはならないアイテムとして広く受け入れられている。
つまりコンビニ食やファストフードは、効率主義的な働き方を補完する作用がある。結果として過密、長時間労働を可能にし、このサイクルは早められていく。これまで日本社会は効率よく生産性をあげることを目指してきたが、コンビニ食やファストフードはそのために貢献してきたといえる。が、もうそろそろ違うベクトルに向かうときではないだろうか。
コンビニでもさまざまな工夫、アイディアを凝らした弁当や総菜が販売されるようにはなっている。たとえば“おふくろの味”や“家庭の味”と謳ったものもある。しかし、今の若者にとって“家庭の味”はどれほど現実味を帯びてアピールされているだろうか?
拙書『自己実現シンドローム 蝕まれる若者の食と健康』では、若者を「ひとり暮らしの男性」「家族と暮らしている男性」「ひとり暮らしの女性」「家族と暮らしている女性」というようにカテゴリーに分けて調査し、検討した。当然ながら、家族と暮らしている人のほうが誰かと食事をする回数が多い。ひとり暮らしでも、女性は「自分で料理しなきゃ」という意識がある。
もっとも食の意識が低いのは「ひとり暮らし男性」「より高い月収を得る人」「長時間労働の人」という要因を持った人であった。また、食意識の高さと所得の関係に興味深い結果が出た。当初は月収が高いほど食意識も高まるだろうと予測していた。しかし実際は月収10万円以下では「食の総合得点(拙書参照)」は低いものの、11~30万円では高まり、逆に31万円を超える(調査結果からこれに該当するのは男性のみだった)と低くなるという結果を得た。
なぜ高収入の男性は「食の総合得点」が低いのだろうか。
高収入の人は正社員が多く、過密長時間労働の場合が多い。労働が密で長時間に及べば私生活に費やすゆとりは減少し、食事の内容も貧しくなるものと推測される(詳細は拙書参照)。

食意識の再構築と日本文化

食に関する文化的価値意識を向上させるにはどうしたらいいのか? 食器を例にとってみよう。
最近は100円ショップでもいいカップが売られているが、職人さんが作った焼き物の食器や伝統工芸のような塗り物の椀を買い求めてみるのもひとつの方法だろう。
昨今、サステナブルな社会をどのようにつくっていくのかが問われている。もちろん環境面のアプローチは重要だ。それ以外にも幾人もの職人さんの手によって作られる伝統の品を使うことは、職人の技も雇用も品物を大切にすることも維持される。100円の食器の使い捨て感覚からは、このような方向は生まれてこないだろう。

ネットに、ひとりで食べる食事を楽しもうという「おひとりさまランチ」あるいは「ひとりランチ」というサイトがある。みんなで楽しく食卓を囲もうということを提唱するサイトではなく、あくまでも個人でどうやって食事を楽しむかという知恵を出し合うのがコンセプトになっている。読者からはメニューはもちろん、ひとりで入りやすいお店の紹介など、さまざまな情報が得られる。
この方法も楽しく、幸福感のある食事を演出するだけでなく、日本の文化・伝統に親しみ、継承することにつながっていく。
ひとりで食事をすることを楽しむのは、自己満足に過ぎないと言われるかもしれない。が、女性はメイクをしたり髪をいじったりするのに余念がない。とくにネイルの手入れは、人に見せるというよりも自己満足でやっている場合が多いと聞く。これと同じように、自分で自分を楽しませるために食事をするということは大事ではないか。
コンビニで買ってきた総菜でも、気に入った食器に盛りつけるとか、好きな音楽を聴きながら食べるなど、自分自身への配慮が大事で、それは他者への配慮の基本になるのではないか。
効率主義を徹底するのであれば、買ってきたパックのまま食べて、終わったらそのままゴミとして捨てればいい。しかし、それでは人間的のもつ豊かで繊細な感情、感性などを無視することになってしまう。何かしら自分自身の感性への配慮をしてあげないと、がさつでゆとりのない生活になってしまうだろう。

※本記事は取材を元に作成。

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プロフィール
梶原公子

梶原公子

元:
県立高校家庭科教員
現在:
社会臨床学会運営委員
専門:
社会臨床学
著作:
井上芳保編著『セックスという迷路』長崎出版2008(共著)
 
『自己実現シンドローム』長崎出版2008年(単著)
 
『女性が甘ったれるわけ』長崎出版2010年(単著)

 

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