The Social Insight Updater

2011.5.14 update

「危険すぎる子どもたちのケータイ利用」

下田博次(NPO法人青少年メディア研究協会 理事長)

今年2月の京都大学カンニング事件を機に、学生・生徒のインターネット利用の能力が問われはじめた。
インターネットを悪用することに何の抵抗もない世代を象徴する事件だったとも言えないだろうか?オトナたちは大慌てで騒いだワケだが、「今さら慌てるのは遅すぎる」と言うのは、青少年メディア研究協会理事長の下田博次氏。

子どもたちがインターネット利用でどう変わってきたのか、下田氏に聞いた。

子どもたちにとってインターネットとは?

インターネットは、最強の情報ツールである。しかし、その情報は玉石混交であり、使い方を誤ると本人にもまわりにも大きなリスクが発生する。十分な判断力を備えた大人であれば、このようなことは今さら強調することではないが、問題なのは子どもたちの利用環境である。

総務省の「平成21年通信利用動向調査」によると、13歳から19歳までの世代で79.5%が携帯インターネットを利用している。ケータイでインターネットを利用している子どもたちは、インターネットを使い有害な情報や人物とも接触してしまう。家族や親の干渉を受けず夜中でもいつでもコミュニケーションできる。さらに、最新の流行やヒット曲にアクセスでき、写真や動画で自己表現もできるなどネット遊びにブレーキがかからずケータイ依存症になりかねない。ケータイがなければ日々の生活が成り立たなくなるほど一体化しているのである。
子どもがケータイを使うことで問題にされるのは2つある。ひとつはケータイ依存。ケータイを触っている時間が長すぎることだ。OECDの国際比較調査でも問題とされた。もうひとつはケータイでインターネットを見ることによっておこる問題だ。とりわけ、日本では後者についての議論が殆どない。

今さら慌てる大人たち

ケータイは常に新しい機能を追い求め、進化を遂げてきた。ケータイでインターネットを見ることは日本ではいつしか当たり前になり、主なインターネット利用環境が海外ではPCなのに日本ではケータイが中心となっていることで子育て教育上の問題になっていることを海外は注目している。こうした中で、忘れられていたことがある。それは子どもたちへのインターネット教育(ペアレンタルコントロール)だ。その結果、様々な問題が顕在化してきた。誰の目にも明らかに問題だと認識できるのは、援助交際だろう。ネット端末の普及によって、少女売春が増えたのは間違いないが、それは氷山の一角である。底辺にはもっと幅広い問題がある。性犯罪は頂点にシンボリックな形であるだけなのだ。

子どもたちにモバイル端末で好き勝手にインターネットを利用させておいて、問題が起きてから慌てているのは、世界中で日本だけである。
こうした背景には、日本と海外のメディアに対する意識に決定的な違いがある。
海外、とくにアメリカの大人社会のネットを見る眼差しと、日本、正確には教育関係者の眼差しがまったく違うのである。
もともと、インターネットは欧米、とくにアメリカの文化、社会理念、価値観から生まれた成人向けメディアで、アダルトメディアと言ってもいい。表現の自由を前提に発信されるものであるから、子どもにとっていいものだけが発信されているわけではない。たとえば、ヌード写真を発信してもかまわないという人は、それを自分の価値観で発信できる。だから、子どもに無条件で与えてもいいのか? という議論がアメリカで起こった。
クリントン政権時、大統領とゴア副大統領は、インターネットを利用して子どもに勉強をさせようとしていた。しかし、全米のPTAネットワークから反対の声が上がる。大人社会が使うメディアであるインターネットは、有害情報も増えている。子どもに無条件に使わせてはいけないというのである。
その議論によって、子どもにインターネットを使わせるために2つの条件が決められた。
ひとつは、フィルタリングをしっかり普及させること。そして、モバイル端末ではなく、パソコンからインターネットに接続すること。家のリビングにパソコンを置いて、フィルタリングをかける、ということであるが、それでも有害情報は入ってくるし、子ども自身が発信することもできる。
そこで重要なのが「ペアレンタル・コントロール」である。
「ペアレンタル・コントロール」とは、保護者が子どものインターネット利用の管理・監督をするという意味。フィルタリングをかけたパソコンを使って親の目の前でインターネットを使わせ、問題があれば注意するなどコミュニケーションをとりながら使わせることが大切ということだ。

では日本はどうか。残念ながらその議論はまったくない。
「みんなそうだから、いいや」となる。日本は元々、村社会の文化だ。周りが子どもにケータイを与えているという理由で親は子どもにケータイを買い与える。世間でいろんな問題が起きたとしても「うちは大丈夫」「うちだけではない」と楽観視する。つまり、欧米が自己責任の文化に対して、日本は良くも悪くも迎合する文化なのだ。その楽観視こそが子どもたちのインターネット利用の無法地帯を作ったといえよう。

エゴイスティックになる子どもたち

子どもが親のコントロールなしにインターネットに触れられる環境の中で、子どもの心にどのような影響があるのだろうか。
思春期の子どもの心の状態と、強力なメディアであるインターネットの使い方には強い相関関係がある。たとえば、寂しさ・怒りのようなマイナスの感情を抱いているときにインターネットを使えば、インターネット利用のベクトルは簡単にマイナス方向にぶれる。友達を誹謗中傷するような書き込みを簡単にしてしまう。しかし、イライラしたときのうっぷん晴らしで情報を発信すれば、どんな結果になるのかという判断能力が子どもたちには備わっていない。にもかかわらず、好き勝手に使わせてしまうから、さまざまな問題が起こるのだ。
京都大学入試のカンニング事件がいい例だろう。自分の利益だけを考えてエゴイスティックに使っている。受験に失敗できないという大きなプレッシャーがかかり、クローズドでマイナス方向にベクトルが向いた心理状態が、カンニングに使わせたのである。
自分たち大人が、高校生のころイライラしてうっぷん晴らしをしたいときにネット端末を手にしていたとしたら何をするか? と想像してみればいい。おそらくいい使い方はしないだろう。子どもたちは、同じ心理状態で、まさに今、悪い使い方をしているのだ。
インターネットを使うための能力には「判断能力」「自制心」「責任力」が必要であるが、子どもたちは特に「自制心」が未熟だ。その結果、利己的な能力がネットで発達したが、相手の事を考える利他的な能力が極めて低下したように思う。いわゆる「炎上」も、インターネットを利己的・差別的に使っているから起こる現象ではないだろうか。

インターネットというメディアをいい方向で使わせるためには、オープンマインドな心理状態でなければならない。自分と意見が違っていても、「相手の言うことをしっかり聞きましょう」という開かれた心がなければ使うべきではないことを教えなくてはいけない。
しかし、実は親が子どもにインターネットとの接し方を教えられないのが現状だろう。
いまは親の世代も常にケータイを肌身離さず持っている。子どもは、親が常にインターネットに触れている様子を見て、それをマネする。2ちゃんねるの大人の議論を見て「ああ、これでいいんだ」と思ってしまう。まずは、親にこそケータイの教育をするべきなのかもしれない。

ここれから必要なのは、インターネットをどう有効利用するか? とくに子どもたちにどう使わせるか? インターネットを使って子どもたちをどう育てたいか? という議論なのだ。そして、子どもたちには常にいい心理状態のもとで使わせようという、大人の発信が必要なのである。

※本記事は取材を元に作成。

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プロフィール
土井隆義

下田博次

元:
群馬大学社会情報学部大学院研究科教授
現在:
NPO法人青少年メディア研究協会 理事長
専門:
情報メディア論
著作:
『日本人とインターネット』信濃毎日新聞社 2000年
 
『ケータイ・リテラシー―子どもたちの携帯電話・インターネットが危ない!』NTT出版 2004年
 
『学校裏サイト』東洋経済新報社 2008年
 
『子どものケータイ利用と学校の危機管理』少年写真新聞社 2009年
 
…他多数

 

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