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2010.11.12 update

バブルの影の現在地

原 宏之(明治学院大学准教授)

バブル経済華やかなりしころ、バリバリの若手ビジネスマンだった40歳代半ば世代は、ことあるごとに80年代を振り返っては、「あのころはよかったなぁ」と遠い目をする。

言葉は知っていても実際に体験していない下の世代からすれば、「まぁた言ってるよ、おっさん」とうんざりするのだが、さて、そもそもバブルとは何だったのか? バブルを経験した世代に、そしてその子どもたちである現在の若者に、どんな影を落としているのか?

『バブル文化論』の著者である、明治学院大学准教授の原宏之氏に聞いた。

バブル消費を引きずる親たちとペシミスティックなバブルジュニア

実体経済に見合わない地価や株価の高騰と、それに乗じた投資から生まれた投機的な好景気を「バブル経済」と呼んだが、その熱は経済だけではなく文化にも影響し、祭のような空気を世間にもたらした。 つまり、「バブル文化」とは「ハレ」の状態に高揚した日常に生きる人間の、主に消費を巡る行動の象徴と言える。

それまで憧れるだけで遠い存在だった外国の文化が、実体験として享受できるようになったことにある。ファッションを例にとると、プラザ合意以降の円高の影響でインポートブランドが日常的になり、学生が着るようなカジュアルブランドのジーンズさえ輸入されるようになった。また、クルマがガラッと変わった。それまでは、とりあえずトヨタのマークⅡを目指し、クラウンで“あがり”だったが、小ベンツと呼ばれたメルセデスの190やBMWが一般化。さらに、映画『セント・エルモス・ファイアー』のような学園生活が、スクリーン上の憧れではなく、自ら謳歌できるような環境にもなった。
しかし、彼らはどこか無理をしていた。12万円するティファニーのオープンハートを、肉体労働のアルバイトで稼いだ金で買っている。相当背伸びして見栄を張っていた。

バブル期に学生、若者だった今の親、とくに母親たちは依然消費を続けている。母親が40歳前後の子どもたちの洋服を見ると、相当高価なモノを着ている。小さいころから美味しいものも食べさせていて、両親がバブル的消費をしていることがわかる。
団塊の世代はもっと裕福なはずだが、バブル世代のような消費はしない。子どもの教育のために余裕がなくなっていることもあるだろうが、金の使い方がわからずにいる側面もあるだろう。

変わらずバブル的な消費を続ける両親の元で育った子どもたちは、消費至上主義の影響を受け、同様の消費行動をとるかというと、それは間違い。 そもそもバブルジュニアは、バブル経済そのものを経験しているわけではないのだから、それが何かをわかっていない。親世代のように景気がさらによくなっていくという将来への希望はなく、おそらく今よりもっと悪い状況になると思っているだろう。90年代に育った子どもたちは学校では激しい競争にさらされ、将来に対して暗い見方しかできなかった。
だから、親の消費行動を見ながら「そんなに楽観的に買っていいのか?」というためらいがあるように思える。
若いころ、稼いだ金をパッと使っていたバブル世代の親は、店頭で見た商品がいいものだと思ったらすぐに買ってしまったが、今の若者はもっと慎重になっている。雑誌で紹介されている服で気に入ったものがあっても、それと似ているデザインでもっとやすいものを探して買っている。
また、今の若者のほうが将来の自分の生活をしっかり見据えているとも言える。バブル期の若者は会社に入った後のことはあまり考えていなかった。入社してしまえばあとは会社任せだったのである。

またバブル世代とその子どもたちは、親子の仲が非常にいい傾向がある。バブル期はまだ昭和30年代を引きずっている部分があったため、母親と一緒に出歩くのは格好悪いという風潮があったが、今は“友ママ”“友パパ”などという言葉が象徴するように、仲のいい家庭が多い。
親世代が大人になりきれていないという面もあるだろう。子どものしつけができない親が多いようにも思える。これはバブルの影響というよりも、教育制度の問題が大きいと思える。今、38、39歳くらいから下の世代は体罰禁止が強く言われた時代であり、服装や持ち物検査などもゆるかった。だから、叱られた経験もなく、子どもに嫌われることをおそれてしつけができない。

5~6年前から入学式に母親と手をつないで来る学生がいたが、今は就職課に母親と一緒に来る時代になった。会社を紹介すると「ウチの子の仕事はそういうのじゃない」と、母親が口を出したりする。

“固まらない” “連まない”から生まれるヒット

バブルジュニアたちは連まない。親と仲がいい一方で、友達同士はバラバラである。学生でも、授業が終わるとそれぞれがバラバラに帰って行く。社会人も、仕事が終わってみんなで飲みに行くわけでもなく、それぞれが自分の世界へ帰っていく。固まったり連んだりすることがない。
彼らは関係が壊れるのが怖いのだろう。親や学校で叱られずに育つと、友達とケンカもできない。一度ケンカをすればそれが決定的な終わりにつながるような深刻な事態にもなる。だから怖い。
これには明らかに男女差があり、男子学生のほうがその傾向が強い。草食系男子と言われるような男は、好きになった女の子に告白もできない。さまざまな意味での経験がないぶん、臆病になっている。それほどいいことがなかったと同時に、傷つくこともなく育ったため、はみ出したり出っ張ったりすることをしないのだろう。

個性を失ったと言えば東京の街もそうである。 東京の繁華街は、これまでさまざまな変化をしてきた。大正時代の関東大震災後、ガラッと変わり、さらに戦後の復興でまた大きく変わった。渋谷、新宿、上野といった、明らかにカラーの違う街が形成されたが、最近は均質化されてきた感がある。
渋谷については、セゾングループがメセナから手を引いたのが象徴的なできごとだろう。文化的な映画がかかるパルコがあったり、西武中心の若者文化が形成されていたように思うが、今はそれもバラバラになってしまった感がある。アカデミックな雰囲気のあった東急文化村の「カフェ・ドゥ・マゴ」も、今やランチの店になってしまっている。
そこから生まれるはずのマス文化も生まれにくくなっているのではないか。

しかし、連まないから生まれるヒットもある。
マスメディアから一線を画しているということも、マスの文化が生まれにくい一因だろう。若者はテレビを見なくなっているし、新聞も読まない。ネット中心の情報に依存し、テレビや新聞を「マスゴミ」と呼んだりする。
若者は連まないし、マスメディアから一歩引いている。自分の趣味だけに消費をするようになっているから、無駄な金を使わない。
しかしそのぶん、興味を持った対象に強くのめり込むオタクが生まれやすいとも言える。オタク・コミュニティの連結力は強いから、その中での関係は密になり、そこから文化が生まれてくる。
マスメディアに乗って、皆が同じ“夢”を見ることで大量消費につながったバブル期と対照的に、バブルジュニア世代は連まないことで文化を生み、スマッシュヒットを作っているのである。

※本記事は取材を元に作成。

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プロフィール

原 宏之

現在:
明治学院大学 教養教育センター准教授
単著:
『バブル文化の研究――1980年代論』 慶應義塾大学出版会 2006年
『新生の風景』 冬弓舎 2002年
共著:
(田畑暁生編) 『情報社会を知るクリティカルワーズ』
フィルムアート社 2004年
翻訳:
ジャック・デリダ×ベルナール・スティグレール『テレビのエコーグラフィー』
NTT出版 2005年
 
グレハム・アレン『ロラン・バルト』 青土社 2006年

 

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